アリと人間

アリは極めてよく統制された集団「社会」を構成している生き物のように見える。
女王アリ、働きアリ、兵隊アリ等々に分かれ優れた社会性をもって行動している。おそらく自分がなぜ働きアリなのかということに疑問を持つアリはいないだろう。もくもくと「自分の任務」に忠実に行動する。生まれてから死ぬまで何ら疑問を持つことなく。生まれ落ちたその集団の中で「各自の仕事」をやっていれば、喰うのに困る(悩む)ことはない。

人間も生まれ落ちた集団・社会・規範のなかで生きている。「優等生」としてその社会の規範を忠実に守り「勝ち組」として生きている人もいる。それほど金に不自由なく、「豊か」に暮らしている。が、アリと比べたときにどれほどの違いがあるだろうか。
俗に「人の幸せ」とは何か、と問うたとき、何不自由なく暮らすことだ、と答える人も少なくないだろう。が、おそらくアリも何不自由なく生きていると「感じている」のだ思う。命あるものはみな、生まれやがて死ぬ。その間どのように生きるかを自分で決めて納得して生きるのか、どうかが問題だ。
その際、我々が生まれ落とされたその時の自然・社会の有り様まで考察し、出来る範囲で自己の望む生き方を貫けるか、貫けたか、が重要なことであろう。金(一般的等価物)の量などは全く問題外だ。もちろんその社会において金が一般的等価物として大手を振っていれば、ある程度の金がなくては生きてはいけない。だがある程度であってそれ以上ではない。ところがこの一般的等価物が手段ではなく目的となって、それを追い求めることが人生の目的となっている人間が多いのが現状だ。あるいは気づかずにそうなっている人も多い。

我々の生きる21世紀の地球上で支配的な人間の住むところはほとんど、社会は極めて複雑に絡み合っており、事物の連関を認識するのは容易なことではない。たとえ意識を持っている人間といえどもアリとそれほど違っているとはいえないであろう。
我々人間が、より意識的にどう生きるかを考えるならば、
金=一般的等価物獲得の呪縛から自らを解放し、自由な時間・空間をより多く作り、ゆとりを持つことが第一歩であろう。
現代の極めて複雑に絡んだ社会の中で生きることに絶望する人や感覚的・生理的に反発する人が増えている。自殺、鬱病、引きこもり、不登校等々。日本には自殺者が年3万人以上いるのだから、この社会に拒絶反応を起こしている人の数は相当なものである。

このことを別の面から見ると、本質をとらえることなく「勝ち組」になった人よりも素直にこの社会に反発している人の方がよほど健全ともいえる。不幸なことはそういった人々の前に展望を示すことが出来ないということだ。一部の人々は、自力でこの社会の中央から周辺部へと退避し、社会との関わりを少なくして自立的な田舎生活を始めている。決して社会から断絶することなどできはしないのだが、より少ない束縛を求めて。
社会全体を一挙に変える(革命)などすぐには出来ないのだから、当面自分(達)で、より自由、満足する生き方を求めて進んでいくしかあり得ない。しかしそれを実現するためには、少なくない金(一般的等価物)が必要とされる。そのため未来を切り開いていく若者ではなく、すでに人生の多くを終えたシニア(退職者・金を持っているもの)が実践しているのが現状だ。このままでは未来を切り開くことはできないだろう。年寄りには未来よりも現状が問題だから。



2011.08.19 / Top↑