山本一典氏によると、田舎暮らしとは「地域社会とのふれあい」すなわち古い農村に見られた地域での生活ということらしい。しかし、現在、現代人(都会人)は、都市生活を体験し、個人として自立・独立した生活を体験してきたのだから、現代の「田舎暮らし」に、古い農村の繋がりをそのまま当てはめるのはちと無理があるのではないだろうか。私自身も、古い農村地域の繋がりに囚われずに、豊かな自然環境の中でゆったりと暮らしたい、と単純に思うし、そうしている。したがって別荘地はそのような考えの人にとってはうってつけである。もちろん地域的な繋がりが全くないわけではないが(都会の町内会でも有る)、基本的に個人の生活に干渉しないという了解がある。これはこれで良い。むしろ今、こういった型の田舎暮らしが求められていると思える。一つの地域に古い農村的な繋がりのものと新しいもの(「新田舎暮らし」)とが入り交じって展開・発展していくのであろう。
2010.09.06 / Top↑
田舎の自然環境はまだまだ良い。温暖化により都会はとてつもなく暑かったが、ここ伊豆南の標高100mほどのところは、夜はとても涼しく過ごしやすい。今(am0:30)は窓を開けていると寒すぎて、窓をだいたい閉めてしまった。ここは海まで1kmくらいで、海、山・緑が豊かで気持ちが良い。
自然環境は確かに素晴らしい、が、田舎で暮らして行くには、それだけではすまされない。そう、生きていく糧が、仕事が問題なのだ。仕事がない(あまり良い)から、若者はほとんどが都会へ出て行ってしまう。だから「都会人」が田舎で満足のいく仕事を見つけるのは至難の業だ。つまりどんなに自然環境が良く人間らしい環境に恵まれていても、それだけでは生きていけない。再生産可能な状況を作り出すのは容易ではない。
定年退職後年金が十分あれば、田舎暮らしはできるにはできるであろう(いずれ年金額は下げられるだろうが)。だとすると田舎を地域としてみると、そこではほとんど価値が生産されず、都会で生み出された価値のおこぼれで生きているという、きわめて不安定で脆弱な状況だということになる。
計画的な一地域として、都市と田舎が一つのまとまりをなす小規模な町を創っていけば良いのだろうが、資本主義社会ではなかなか難しいであろう。
個人的に何とかできる人もいるだろうが、意欲ある人がもっと一般的に再生産可能なだけの、田舎での仕事を見いださねば(創り出さねば)安定的な田舎暮らしは難しい。うーん、難問だな。
2010.09.06 / Top↑
伊豆での夏の朝食。
野菜は採れたもの。7月中旬から毎日トマトは良く採れる。今年作ったのは、桃太郎、フルーツトマト、ミニトマト。桃太郎は大きいが、あまり個数はならないので、毎日食べるにはミニトマト系がよい。なかでも黄色のやつは甘く美味しい。毎日とれたて・新鮮なものから食べるのでいつしか冷蔵庫にたまった古いものは捨てざるを得なくなる。今年はトマトは成功した。こんなになるなんて。
キュウリはこれが最後だが、あまりならなかった。意外と難しい。ナスも少なかった。これらはけっこう肥料をやらねばならないようだ。土が悪いのもあるが。
朝食はこれでだいたい500~600kcal。

もっと野菜を作って、ジュースも自前の野菜で作りたい。ヨーグルトはカスピ海ヨーグルトが美味しい。残念ながら伊豆では菌を駄目にしてしまった。9月中旬には復活の予定。そうすれば、半自給自足になるか。
パンも小麦粉から焼いた方が断然美味しいが、今のところ余裕がない。
2010.09.02 / Top↑