
なのに、河津の桜は、まだあまり咲いてない。見物客はまあまあ来ているが、残念ながらまだ満開にはほど遠い。遠くないうちに満開にはなるだろうが、残念ながら葉っぱが出て、あのピンク一面の綺麗さが見られなくなってしまう。
写真は、3日の南伊豆のものだ。こちらは、どういうわけか、今年は河津よりもかなり早い(例年よりは遅いが)。
今日も物件を見に行ってきた。下田の山奥で標高230mくらいにある物件だったが、かなり狭い道を大通りより数キロはいったところだったが、家はけっこうあった。しかし昔の田んぼはほぼ全て放棄されているか、多少畑になっているだけだ。聞くと、ほとんどの人が町に働きに出ているか、年寄りがほそぼそと暮らしている、畑もわずかにやっているだけという家が多いそうだ。そうとう山の中に行ったが、それでもみかんを作っている所があったが、甘夏らしきものはかなりが「落ち放題」だった。採算ベースにはのらないのだろう。
土地は2万坪以上で一千万円未満とかなり安そうに見えたが、行ってみると、やはり、平地部分はわずかで(ほぼ山)、農地としての利用を考えるとあまり良いところではない。古い家が付いているので、リフォームして住むことをメインにしたい人には「アリ」かもしれないが。
帰ってきてから、河津の知り合いの人と農地を借りてやるのはどうかと話をした。「農民」は農地を貸すのを「怖がっている」そうだ。彼の周りでも、そうとう耕作放棄地があることはあるそうだが。
私も単に百姓をやりたいわけではなく、自由に使いたいので、買ってしまった方が都合がいい。
無農薬はもちろんとして
・有機農法をメインに+若干の化成肥料
・有機農法(化成肥料は無し)
・自然農法(ほぼ耕さずに若干のぬか・油かすのみ、草を利用)
・全くの無肥料栽培
等々、実験・実践しながらやってみたい。
同時に、学習・体験教室もやっていこうと思っている(まだ土地がないのに!)。
まあ、耕すことからやってみるというのもおもしろいかも。
今年遅くならないうちに始めたいとは思っている。
今の日本では、「資本主義的生産関係」から抜け出ることはできないが、そうではない関係的なところに、足場を多少でもおくことが、せめてものやすらぎ、生き甲斐、人らしく生きていることの実感に結びつくと思う。今のところ私などは、いそがしくはあるが、かなりいい加減に「資本主義的生産関係」とつきあって、それなりに生きているように思えるが。
実際、ときおり、南伊豆の庭で青空を見上げていると、自分をとりまく関係をつい忘れて、「至福」を感じて済まないような気持ちになってしまうことがある。この贅沢な気持ち、金ではかえない時の流れ、空間・・・・・
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2012.03.05 / Top↑
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